シリーズ「淡海の城」(5)−佐生城(さそうじょう)(滋賀県東近江市日吉・佐野)
シリーズ5回目は、東近江市に合併した旧能登川町と旧五個荘町の町境に位置する佐生城を紹介します。
佐生城は繖山の北端にある小さな山城です。近江平野の中央にそびえる独立山塊の繖山の南斜面には、近江守護佐々木六角氏の居城であった観音寺城があります(シリーズ第1回)。そこから北方へ約4q離れた、標高160mの小さな嶺の上に佐生城はあります。幅3〜5mの土塁を三角形にめぐらせた単郭式山城で、その外側には石垣を積んでいます。南西隅の櫓台部分では、高さ4mの見事な算木積み石垣を見ることができます。
城主は六角氏家臣の後藤氏と伝えられています。後藤氏は六角氏の重臣でしたが、永禄六年(1563)に当主父子が六角義弼により謀殺されてしまいます。この「観音寺騒動」を契機に六角氏は家臣の信頼を失い、急速に衰亡していきました。
後藤氏の本拠地は東近江市(旧八日市市)中羽田にあって、県指定史跡に指定されている平地式館跡がその屋敷とされています。また、観音寺城内にも後藤氏館の伝承を持つ大きな郭があります。後者は伝承であるにしても、本拠地から離れた佐生城は後藤氏とどのような関係があったのでしょう。佐生城の東約1qには和田山城があり、双子のように並んだ両城は東山道の愛知川渡河地点を間近に望んでいます。信長軍が観音寺城を進撃したときには、六角氏は和田山城・箕作城等の諸城に諸将を配置していますから、お
そらく佐生城にも将兵を配したことでしょう。つまり佐生・和田山両城は、北方からの進撃に対して防衛線となる愛知川の橋頭堡であったといえます。佐生城が土塁を石垣で築いている点でも、ここが総石垣造りの観音寺城の一郭であることを裏付けているようです。
佐生城の詳しい築城時期はわかっていませんが、江北に勢力を持つ京極氏・浅井氏の侵入に対しても、防衛拠点として機能していたことでしょう。そのときに佐生城に陣を構えたのが後藤氏であったのかもしれません。つまり、佐生城は後藤氏の居城というよりも、観音寺城防衛戦略の一角として後藤氏が築いた城であった、というのが実際のところではなかったかと思われます。
佐生城への最寄り駅はJR琵琶湖線の能登川駅です。駅からバス(神崎線)で3分の佐生停留所で下車し、尾根裾の瓜生川堤防道に面した墓地の横から佐生城へ登ることができます。 (伊庭)
佐生城跡主郭部の算木積の石垣