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シリーズ「淡海の城」(9)−鯰江城(なまずえじょう)(滋賀県東近江市愛東町鯰江)

  鯰江城は、このシリーズで紹介した高野城(第3回)や青山城(第7回)、井元城(第8回)等と同様に愛知川右岸の河岸段丘上に築かれた城です。この城は土豪鯰江氏の居城として知られていますが、それ以前は在地の土豪森氏が築いた居館であったと伝えられています。佐々木六角氏が信長の近江侵攻に対抗するために城は改修され、永禄11年(1568)には六角義賢、義治父子が入城し信長軍に抵抗しますが、天正元年(1573)9月落城しました。この鯰江城攻めのために築かれた陣城の一つが井元城跡と考えられています。
 城域は、現在の集落と重なっているため遺構の大部分は失われ、わずかに土塁の一部をみるだけです。

 集落の北端に残る土塁の痕跡

 『近江愛知郡志』掲載の図によると、東・西・北の三方を堀で、南を愛知川の段丘崖で囲まれた約半町域に「本丸」があり、その北西に変形六角形の土塁と堀に囲まれた「御殿屋敷」が、さらにその西に区画された「土屋敷」と記された曲輪群が、そして西端には三箇所の「遠見櫓」が描かれています。

 『近江愛智郡志』巻貮(滋賀県愛智郡教育会 1929年刊 1982年復刊)所収 「鯰江城阯」

 これまで実施された発掘調査で、石組み暗渠排水遺構、堀跡・土塁の一部や門跡と考えられる石垣や礎石等が見つかっています(一部が用水場施設に復元されています)。城跡中心部=現在の鯰江集落中心部となっていることから、城郭遺構の大部分は未だに謎となっています。

 用水場に復元されている鯰江城の石垣

 これらの他にも、旧愛東町から旧永源寺町にかけての愛知川右岸段丘上には中世城館跡が数多く残されています。近江鉄道八日市駅から湖国バス「愛東循環線南回り」(※本数は少ない)を利用する方法もありますが、愛東マーガレットステーションを起点に、ハイキングを兼ねて徒歩で散策されてはいかがでしょうか。(西家)  

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