シリーズ「淡海の城」(4)−木村城(きむらじょう)(滋賀県蒲生郡安土町常楽寺)
安土町大字常楽寺には、中世から近世にかけて栄えた「常楽寺港」と呼ばれた港がありました。現在この付近一帯は、水辺の公園として整備され、往時の面影を偲ぶだけとなっていますが、この常楽寺港の入り口付近に「木村」と呼ばれる小字名が残った畑があります。ここが木村城(館)跡との推定地で、佐々木六角氏の家臣であった木村氏の居館とされています。木村氏は、古代豪族佐々貴山君の系譜を引く本佐々木氏の出とされており、沙沙貴神社(現安土町常楽寺所在)の神官を勤めていたことで知られています。また、普請奉行として安土城築城に係わり、「安土町奉行」として信長に仕えた木村次郎左衛門尉もこの木村氏の一族と考えられています。
中世の常楽寺港は、佐々木六角氏が支配していた近江湖東地区の物資の集積場として、さらに流通の要所として重要な役割を果たしていましたが、その港の出入り口に居を構えていたとされる「木村氏」の役目も重要であったと考えられます。
平成元年に、館跡の一部を安土町教育委員会が発掘調査を実施しています。その結果、館跡に直接関連した遺構は認められませんでしたが、南北に伸びる溝状の遺構が検出され、溝底から16世紀中葉(安土城築城直前)の土師器が出土しました。この溝は、館を区画する堀跡の一部とも推定され、土師器の出土状況から、何らかの儀式が行われた可能性も考えられています。
現在館跡と伝えられる一角は畑地として残されていますが、周辺の水路の大部分が埋め立てられ、現在見られる石垣は後世に構築されたと推定されています。このように「木村城」は伝承部分が多く、その実態は明らかにされていませんが、中世から近世にかけてのこの地域の歴史を語る上で重要な遺跡であることは間違いありません。
なお木村城へは、JR安土駅駅前ロータリーを過ぎて左の方へ進み、最初の十字路を右へ曲がります。そのまま真っ直ぐ進むと左手に常浜公園という看板が見えます。常浜公園の西端に位置する畑が木村城跡です。
木村城遠景(石垣は城の遺構ではありません)