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シリーズ「淡海の城」(1)−観音寺城(かんのんじじょう)(滋賀県東近江市・安土町)
観音寺城は琵琶湖の東岸、標高432mの繖山(きぬがさやま)に位置する山城です。近江守護(おうみしゅご)であった佐々木六角氏(ささきろっかくし)の居城で、南北朝時代に築かれました。当初は小規模な砦のようなものだったと考えられますが、戦国期には城内が整備され、現在見られるような山頂から山復にかけて多数の独立した郭が展開する大規模な城郭となりました。
城内には六角氏の家臣たちの屋敷があったことが記録に見られ、現存する多数の郭がそれにあたると考えられます。昭和45年(1970)に行われた発掘調査では、山上の郭から建物跡や井戸が発見され、多数の土器・陶磁器類が出土しました。このことからは山上で生活していたことがうかがえます。中世の城は日常生活する山麓(さんろく)の館と戦時に立て籠もる山頂の山城部分とで構成されているのが一般的ですが、観音寺城では生活が山城部分で行われている点が特徴的です。またこの城の最大の特徴としては、全山に石垣がはりめぐらされている点が上げられます。石垣が城郭に本格的に導入されるのは安土城以後とされていますが、それ以前にこれほど石垣を多用した城郭は他には見られません。
また山麓の石寺(いしでら)集落では楽市(らくいち)が実施されるなど、この城は領国支配の拠点として約200年にわたって続きましたが、永禄11年(1568)、織田信長の近江侵攻によって六角氏は城を逐われます。しかしながら、その時に城は破壊されておらず、その後も使われていたようです。昭和57年(1982)、国指定史跡になりました。
現在、滋賀県では史跡観音寺城跡保存管理計画策定事業を進めています。これは観音寺城跡をどのように保存・活用していくかを考えるもので、将来の調査整備事業にむけての準備作業となるものです。
観音寺城本丸跡裏虎口の石垣
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