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シリーズ「淡海の城」(10)−伊庭御殿(いばごてん)(滋賀県東近江市能登川町大徳寺)

 このシリーズは「近江の城」となっていますが、今回紹介するこの遺跡は江戸時代初めに徳川幕府の将軍が、江戸と京都を往復する際利用(宿泊・休憩)するために建てられた御殿跡です。大工頭中井大和守(だいくがしらなかいやまとのかみ)の子孫である中井家(東京)に伝わる古文書から、寛永11年(1634)に小堀遠州によって建てられ、また文書と一緒に残されている伊庭御茶屋指図(御殿の平面図)と現状の地形がほぼ一致することが確認できます。昭和61年、能登川町教育委員会により遺構確認を目的とした発掘調査が行われており、その結果古指図に描かれた建物の石列と井戸が検出され、同時に行った石垣の調査でも、古指図通りの高さ(約2m)で造られていたことが確認されました。

 このような徳川将軍上洛用の宿泊所は県内では、水口城(甲賀市)・永原御殿(野洲市)・柏原御殿(米原市)があり、三カ所とも現存しています。これらと伊庭御殿を比べると大きな違いがあります。それは、他の三カ所の区画が方形であるのに対して、ここは繖山(観音寺山)裾に沿った、全くの不整形となっていることです。江戸時代の建物でこのような不整形の区画を持つものは全国的にも珍しいと言われています。現在ではすぐそばを走る道路とJRの線路を挟んで、集落や水田の風景が広がっていますが、御殿が建てられた当時は、繖山を背景に、琵琶湖の水面が望める風光明媚な場所だったと思われます(近くに望湖神社があります)。

  伊庭御殿跡遠景

  道沿いに残る石垣

 このような施設も、幕藩体制の確立と宿駅の発展に伴い、永原御殿が貞享2年(1685)に廃止されています。伊庭御殿もその頃廃止されたものと思われますが、水口城だけは水口藩の藩邸として明治まで存続しました。いずれの遺跡も、江戸時代の御殿の様子を現在に伝える重要な遺跡といえます。

 なお、天正7年(1579)現在の長浜市小堀町で生まれた小堀遠州は、建築・造園・茶道などに非凡な才能を発揮し、江戸時代初期の文化史に大きな業績を残しています。遠州作が確実な建物・庭園などで現存するものは、そのほとんどが国指定の文化財となっています。この意味からも、遠州作が確定できるこの伊庭御殿跡は大変貴重なものであるといえます。

 伊庭御殿遺跡へは、JR能登川駅下車、能登川高校横の道路を線路沿いに南へ徒歩約10分、現愛宕神社の御旅所となっているところです。 (西家)

 

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