シリーズ「淡海の城」(12)−後藤氏館(ごとうしやかた)(滋賀県東近江市中羽田町)
中羽田集落の南東端にあって昭和58年に県指定史跡となった後藤氏館跡は、その名に見られるように進藤氏と並んで佐々木六角氏の両藤と称された後藤氏の居館跡です。後藤氏は六角氏の奉行人を務めた重臣で、永正13年(1516)の伊庭貞隆の乱の際には六角氏の家宰として活躍、これを機に、さらに権勢を高めたことから、永禄6年(1563)、後藤氏の力を恐れた時の守護佐々木義弼に賢豊父子が暗殺された「観音寺騒動」は、歴史上の重要、かつ有名な出来事です。
館跡の構造は、西辺の中程に、両側に石積みを施した幅約6mの虎口を持ち、四周に幅6〜8m、深さ約1.5mの堀と、その内側に基底幅約11〜15m、高さ約3mの土塁を巡らせた方形単郭に分類されるもので、規模は外周の堀跡を含めて東西が約100m、南北が東辺で約100m、西辺で約120mを測る台形状の平面形を呈しています。しかし、現状では南辺と西辺の堀は埋没し、土塁も削平され、虎口両側の石積も後世に積み直された状況で畦畔上に孤立しています。
虎口
発掘調査については、昭和56年度の圃場整備事業に伴う調査と昭和59年度の環境整備事業に伴う調査が実施されました。その結果、南辺の堀跡やその外の2条の堀跡(SD-1・2)、館内の中央付近では井戸(SE-4)や柵(SA-4)、南東よりでの小規模な掘立柱建物跡(SB-4)など、館跡に伴う遺構が確認されましたが、主殿となるような建物遺構は確認できなかったようです。また、虎口についても、堀に面して橋台と思われる2段の敷石や堀に降りる石段が確認されたものの、門礎石は確認できなかったようです。
永禄11年(1568)、織田信長の上洛のおり、六角氏は、ほとんど戦わずして甲賀方面に敗走しました。この背景には、家臣団の統率ができなかった六角氏の内情によるもので、その発端が「観音寺騒動」にありました。そして、この遺跡は、この騒動の一方の主人公であった後藤氏の本貫地に築かれた居館跡です。また、遺跡から遠望できる観音城跡は、本丸跡から池田丸に至る尾根筋を正面に見ることができます。
北辺の土塁。背景に見える山は観音寺城跡のある繖山
なお館跡への交通手段は、近江八幡駅から日野方面行きバスで羽田西バス停下車。徒歩5分です。 (近藤)