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シリーズ「淡海の城」(7)−青山城(あおやまじょう)(滋賀県東近江市愛東町青山)

  愛知郡は中世を通じて佐々木六角氏の支配下におかれ、六角氏被官となった在地土豪の城館が多く存在しています。このシリーズ第3回に紹介した高野城のある愛知川沿いにはほぼ集落ごとに在地土豪の城館が残っています。今回紹介する青山城は史跡の指定も何も受けていませんが、一見の価値がある城跡です。近江の城といえば安土城や観音寺城等複数の郭が幾重にも取り囲む壮大な城もありますが、単郭方形城館という正方形の平地の廻りを高い土塁で囲み、さらにその外側を深い空堀で囲むというシンプルなお城があります。鎌倉時代以降にみられる屋敷の廻りに水堀を廻す方形居館から発展したという説もありますが、滋賀県の中世城郭において特に甲賀郡の山城に顕著に見られる構造の城です。
 城跡の遺構は、愛知川河岸段丘上にあり、東南から西北方向に約200m、南西から北東方向に約150m位の規模で残されています。発掘調査等を行っていませんので詳細な遺構は分かりませんが、居館跡とみられる主郭部は、50m×60mの方形範囲内に幅約9m、深さ3.6mの空堀を三方に廻らし、上辺で約7〜9m、主郭内敷地から測って約2mの高さの土塁を廻らした堅固な構築となっています。愛知川側の現在絶壁になっている所に開口部があり、枡形の窪地になっています。開口部の右手の土塁上には、礎石が残っており、櫓等の建物があったと思われます。主郭内敷地にも礎石や井戸跡があります。西北側(公園側)の堀が障子堀になっており、一部土橋と思われる進入路があります。このようにほぼ築城時の姿を留めている城館跡です。

 青山城の堀と土塁

 礎石
 さて、青山城の城主ですが、『近江愛知郡志』によると、「青山氏は青山に住し、氏を称す小椋一族なり。新開略記によれば青山左近衛門実貞、左近亮勝重、内膳信兼等は佐々木六角氏に仕えて近習たり。青山三衛門は足利義輝に従い戦死す。青山與三郎、同虎丸は信長に仕え本能寺に戦死すと見ゆ。」とあり、在地豪族である小椋氏の一統であったことが伺えます。当初、佐々木京極氏に属していたのが、京極氏の衰退とともに六角氏に仕え、六角氏が信長に滅ぼされると信長に仕えというように、戦国の時代を巧く乗り切り、所領を守っていったと思われます。城館跡が現形を留めていることは、そのことを如実に語っているのではないでしょうか。
 青山城跡へは名古屋・東京方面よりJR東海道新幹線米原駅乗り換え近江鉄道八日市駅下車、京都・大阪方面よりJR琵琶湖線近江八幡駅乗り換え近江鉄道八日市駅下車、湖国バス愛東循環線(南回り)の青山で下車(430円、約40分、1時間に1本しかありませんので気を付けてください)青山町集落内にある善勝寺を目当てに行くと寺に近接して日吉神社があります。城跡はこの神社の裏山にあります。神社を右手に見ながら上る坂道の登り口の右側に宮林公園があります。その公園に沿って林道が延びています。公園を右手に見ながら林道を50mほど歩き、公園との境から林の中に入りますと深い空堀が見えます。公園沿いの堀が障子堀になっています。中程の所に土橋があり、土塁の上に行くことができます。マイカーでは名神八日市インターから国道421号を永源寺方面に行き、御園交差点を左折し、愛知川を渡り、妹南交差点を右折し、県道217号に出てください。妹南交差点から1kmほどの所で青山です。周辺には駐車場はありません。林道に仮駐車してください。城跡等の案内板は一切ありません。現地は下草や雑木の伐採が行われていませんので、夏場の見学は蜂や蛇に気を付けてください。なお、県道217号をさらに愛知川上流に向かって行くと第3回で紹介した高野城や永源寺にも行けます。 (仲川)

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